2012/05/14(Mon)
公園の帰り、正人はぶらぶらと寄り道をして春の穏やかな日を自分なりに楽しんでいた。自転車をこいでいても、顔を突き刺し、体を縮こませるような冷たい空気はもうなかった。心も体も解放されてむるめの風呂につかっているようだった。お気に入りの古本屋で立ち読みをしていたら、あたりはそろそろ暗くなり始めていた。ちょっとした半日の冒険に、十分満足して正人は帰宅した。
家に帰ると薄暗い部屋の中で父親がテレビを見ていた。外の変化にも気づいていないようだった。「お帰り」と声を掛けられたのに、正人は無言でパチンと電灯の紐を引いた。部屋がぱっと明るくなり父親は驚いたように目をしばたたいた。
浮かれていた気分が一気にしぼみ、正人はどしんと音を立て座った。コタツの中に足を入れると湿ったように生温かい。しばらく二人は無言でテレビの画面を見詰め合っていた。知らぬ間に時が過ぎる。「今日は誰が弁当を買いに行くのだろう」正人は心の中で思う。画面から目をそらすと、炊事場が目に飛び込んでくる。狭くて惨めなほどに物がない。包丁やまな板、鍋などの調理用具はなく、水道の蛇口だけがポツンとある。水を飲んだり手洗いをするためだけに使われているようなものだ。そんな惨めな台所を占領しているのが二つも三つもあるゴミ袋だ。いっぱいになったまま、ゴミ出し日でないので家に置いておかざるを得ない。母親も由美も帰ってこない。父親が買い物に行かないのはわかっている。言い争っても無駄だと悟った正人は誰にともなくこう言った。
「おれ弁当買ってくるよ」
「そうかい。台所に母さんが金を置いといてくれたよ」
「おれ弁当買ってくるよ」
「そうかい。台所に母さんが金を置いといてくれたよ」
正人は金を握ると弁当を買いに行った。家に戻ると父親しかおらず、弁当をコタツの上に並べてしばらく待っていた。腹が減ってきたので弁当を開けて食べようと思った矢先、玄関のドアがガチャリと鳴った。母親が大きなレジ袋を抱えて入ってきた。
「さあ、これで明日の昼までは食べ物があるよ。」
部屋へ来ると由美がいないのに母親は驚いた。
「由美は?」
「由美はまだ帰ってないよ。」
正人がしょうもない奴という風に答えた。
「あら、何してるんだろあの子。4月からは中学生だって言うのに。今日は罰としてご飯抜きだね。」
三人の食事が始まった。テレビからは何かの歌番組が流れている。弁当を食い終わり、歌番組も終わり九時になったが由美はまだ帰ってこない。さすがに母親もイライラし始めた。
「あの子、何やってんだろ。帰ったらお仕置きだね、何も言って来ないなんて。父さん、由美はどこに行ったんです?」
「友達と遊びに行くと言って出たかな。」
「どこに行くとは言ってなかったんですか?」
「さあ。」
「まったく父さんが由美に甘いからこんなことになるんですよ。帰ってきたらきつく叱ってくださいね。」
「ああ。」
テレビからは虚ろな笑い声が響いてくる。由美のことはまったく自分には関係ないと思っていた正人は、さっさと風呂に入ることにした。机のある部屋に閉じこもり、抽き出しの奥にあるものに触れていたかったのだ。
十時になっても由美は帰宅しなった。さすがに母親は慌てだし警察に届けようかどうかと父親に相談していた。父親は「うん、うん」としか返事をしなかったが、しばしの間の後「電話してみろ」と母親に言った。母親が警察に電話をすると、しばらくすると電話が鳴った。父親と母親はぎょっとしたが、あわてて電話を取った。電話は警察からだった。警察の話によると由美と同じ学校の同級生の女の子何人かがやはりまだ帰宅していないということだった。警察から母親は、今日は同級生たちと一緒に出かけたのかと問われ、よくわからないがいつも仲が良かったからそうではないのか、と答えていた。正人は布団の中でうとうとし始めた。そして夜中の二時か三時ごろふと目が覚めると、ふすまの隙間からまだ光が漏れていた。テレビの音はさすがに消えていたが、母親たちはまだ起きているのだろう。眠ったまま部屋の中を見回してみる。正人の机と由美の机が並んでいる。これは、子どもが小学校に上がるときに、家が狭いのだから机は買わなくて良いのではないかと主張する母親に対して、無理してでも机はあったほうが良いと父親が言い張って買ったものだ。机を置いたらそれほどスペースが残らない狭いところに、正人と由美は布団を敷いて夜は寝ている。一人に一つ子ども部屋を与える余裕はないのだ。だが、正人の布団の横は、今日は畳が見えたままだ。由美はまだ帰ってないらしい。馬鹿な奴と思いながら正人はまた眠りに落ちた。
翌朝、正人が起き出してくると、父親も母親も疲れきった顔をしている。三人とも無言で朝食を食べ終わると警察がやって来た。二人の警官が居間に上がって、何時に由美は出かけたのか、どこへ行ったのか、などと一通り質問していく。警官が、それではまた何かわかったら連絡しますからといって立ち去ろうとすると、母親が尋ねた。
「今日は仕事休んだ方がいいでしょうか。」
「そうですね、とにかく誰か一人は家にいてもらったほうがいいでしょう。われわれからの連絡や娘さんからの連絡もあるかもしれません。そして万が一、万が一ですよ、誘拐ということになって犯人から電話があれば対応してもらわなければなりません。其の時はすぐにわれわれに連絡してくださいね。逆探知の機械をこちらに持ち込ませていただきますから。」
警察が出て行くと母親はどっと疲れが出たようだった。
「私、今日、仕事休んで家にいるから、父さんと正人は心当たりのところを探してきて。」
正人と父は家を出た。父親が家を出たのはもう何日振りのことかもしれない。正人は自転車に乗ると、「俺は、こっちの方へ行くから」と早くも父親と別れたがった。こんな機会に何か息子と立ち入った話でもできるかもしれないと期待していた父は、肩透かしを喰ったようだった。「ああ」と力なく返事をすると、とぼとぼと背中を向けて歩いていく。正人はその背中を見送ると、反対方向へと自転車をこいでいった。正人とて由美の居所に心当たりがあるわけではなかった。厄介を引き起こした妹に腹が立っていた。家にいれば面倒なことに巻き込まれる。だから、家から逃れられれば、別に後はどうでもいいのだ。古本屋で漫画でも読んでいよう。そう思いつくと、面倒くさい思考は一切後回しになり、妙に気分が軽くなってしまった。
古本屋を何件かはしごをしているうちに時間はあっという間に経った。あたりは夕刻でもう薄暗くなり始めていた。昼はコンビニで菓子パンを食べたきりなので、腹もすいていた。そろそろ由美も家に戻ったに違いない。気楽に考えて家に戻ると、いつものようなテレビの音も聞こえて来ない。母親と父親が電灯もつけずしんねりとコタツに向かって座っている。正人は電灯の紐をわざと大きな音を立てて引いてみた。これが手品のスイッチとなり二人が動き出すかと思ったのだ。だが二人とも冴えない顔をしている。これでは由美が戻ったかどうかは聞くまでもない。正人は自分の部屋に籠ろうかどうかと躊躇したが、結局、三人目として沈黙の宴に加わることにした。口を切ったのは母親だった。
「どう由美はいたかい?」
「ううん。」
由美など探してもいなかったことは自分が一番よく知っていた。だが、このように尋ねられると、貴重な時間が馬鹿げたことに費やされてしまったようで、改めて腹が立った。
「どこに行ったんだろう、あの子は。父さんが由美を甘やかしていたからこんなことに…」
母親の父親非難の言葉に正人は肯定も否定もしなかった。二人が言い争いになったりして、面倒なことが目の前で起こるのだけが嫌だった。父親は何も答えず、また沈黙が三人を押し包んだ。テレビのない空間を沈黙が占拠していたことを発見して、正人は新鮮な気持ちにさえなった。この沈黙の中でも時は流れていく。それは腹が減ってきたことでわかる。正人は切り出すタイミングを五回も六回も取り損なった後、ようやく「母さん、弁当は?」と言った。
母親は溜め息をついて立ち上がると、錠のついた引き出しを開けて自分のバッグを持ってきた。
「父さんはお金持ってないからね。これで買ってきて。あたしもね、今日仕事休んじゃってパート代が出ないんだよ。明日も休まなきゃなんないのかねえ。」
外に抜け出すとほっとした。正人だってこのままどこかへ行ってしまいたい気分だ。だが、どこという当てもなく、結局は弁当を買って古い小さなアパートへと舞い戻った。弁当を食べ終わると、正人は自分の部屋に籠った。ふすま一枚を隔てて父親と母親がどんな会話をするのかと聞き耳を立てていたが、物音ひとつ立てない。生きているのかしらんなどと考えているうちに、眠ってしまった。
翌朝、朝食を食べ終えたところに警官が尋ねてきた。母親からは絶対に返さないという気迫が漂ってくる。ぜひ上がってくれと拝み倒しお茶を出す。父親は「お仕事があるのにすみませんね」と卑屈に笑っている。実際、警官も取り急ぎの用があるわけでもなさそうで、出されたお茶を飲み、「まだ帰らんのですか?」などと呑気に談笑している。そのうちに、警官の腰についている通信機が鳴り始めた。警官は慌てて立ち上がって、部屋の隅に行き、壁に向かって直立不動の姿勢でマイクに向かう。
「わかりました。これから突入するんでありますね。了解しました。保護者は自宅にて待機ですね。了解しました。本官が伝えます。了解しました。」
緊張が漂う。皆が警官の顔を見て、次に出てくる言葉を待っている。
「娘さん見つかりましたよ。友達と一緒に監禁されているらしい。」
ヒーという悲鳴が母親から上がる。
「それでですね。場所は教えられません。今からが事件解決の最重要場面ですから。お父さんとお母さんは警察から連絡があるまでは、絶対に自宅を離れないでください。本官はすぐ署に戻らなければなりません。」
警官はばたばたと靴を引っ掛けてまま、後ろ手にアパートのドアを閉め出て行ってしまった。後には飲み差しの茶碗だけが残されていた。
富風 島緒 at 2012/05/14(Mon) 08:47│コメント(0)
2012/05/04(Fri)
高校二年の三学期は短い。正人は将来に向けての展望がなんら開けないままに、三学期の終了を迎えてしまった。学年の変わり目に当たるこの春休みという代物はなんとも中途半端だ。生徒たちは学校に縛られているようであり、また、突き放されているようであり、それぞれ自分の繭の中で夢を紡いでいた。もっとも正人らの担任の近藤は終了式の日に嫌みたっぷりにこう言ったものだが。
「進学コースの奴らは、課題プリントを持ってけ。少しでもサボると成績が落ちるぞ。休み明けには必ず提出するんだぞ。そしてすぐ実力テストがあるんで息が抜けないぞ。それ以外の奴は…」
「それ以外」というところを近藤は強調して、蔑むような目で生徒達を見た。正人が目を上げると近藤と視線が合った。
「それ以外の奴は、多少息抜きしてもかまわんが、四月からはカリキュラムきついからな。資格取得、作文対策、なんだかんだ放課後までいっぱい詰まってる。そしてだな、全員に伝えとく。春休みだからといってふらふら遊んでんじゃねえぞ。万引きしたくなるから、ショッピングセンターなんか行くな。万が一、警察から連絡来たら、停学、退学、厳しい処分で臨むからな。」
正人の同級生でもすでに学年で五人くらいは退学してこの高校からいなくなっている。原因は様々だ。いじめにあっていつの間にか学校に来なくなってしまった者、経済的な理由で就学が困難になってしまった者、バイクを盗んで警察から通報された者など。退学者のほとんどの者と正人は口を聞いたこともなく、どんな生徒であったか思い出せもしなかったが、ただひとり今でも正人の心に残る生徒がいる。この高校に入学した直後、同じクラスになり、むこうから正人に話掛けてきた生徒がいるのだ。少しはにかんだ様子で、正人がどこの中学出身だかを聞いてきた。正人もぶっきらぼうに返答していたが、なんとなく気が合いそうな気がした。友人の少ない正人にとっては、踏み込んだことを打ち明けられそうな予感がしていた矢先、この生徒が校外で暴力事件を起こしたらしいという噂が伝わり、それ以来、彼の机は空いたままになっていた。教師はその件については一言も触れず、退学させられたらしいという噂だけが正人たちの間で伝わった。
春は中途半端な季節だ。寒くなったり、暖かくなったり。寒くて天気が冴えない時は、正人の気持ちも沈みがちで家にこもって、することもなかった。狭い家だから父親と顔を合わさずにいられない。正人の父は午前中からテレビの前に陣取っている。情報番組と称して、芸能界のゴシップなどを面白おかしく伝える番組や、大げさな話しぶりのタレントたちには、さすがの正人も辟易していた。そうしたテレビ番組への憤懣が、父親への憎悪になり、正人の心はいらついた。
そんなときは、自分の机のある部屋のふすまをわざと大きな音を立てて閉め、机に向かった。右手の一番下の引き出しを空けたが、もちろん勉強するのではない。引き出しの奥には茶筒が入っていた。その茶筒を取り出し、少し背後を気にした後でふたを開ける。そこには白い布が入っている。それを取り出す。美奈子の下着だ。それに顔を埋めて息を大きく吸い込むと、正人の心は落ち着くようだった。
春は寒くて鬱々とした日ばかりではない。青い空が建物の間からのぞいて温かい風が吹いてくると、正人は外へ出かけたくなった。なんだか外に出るのはずいぶん久しぶりのような気がした。父親には何も告げず、自転車で気の向くままにこいで行ってみようと思った。自転車に跨ると教授のことが頭に浮かんだ。そこでゆっくり公園に向かって自転車をこぎ始めた。住居のない教授のことだから果たして公園にいるだろうか。当てにならないという気がした。不思議なもので最初ホームレスを恐れていた正人だったが、話してみれば少し変わったところはあるものの同じ人間だということがわかり、久しぶりに会って話を聞きたいという気にさえなるのだった。
公園は暖かい陽だまりに包まれていた。花の匂いもそこはかとなく漂っている。気持ちのよい公園なのに人は誰もいなかった。軽い失望を感じて自転車を降りると、正人はベンチに座った。正面から日が当たってまぶしくて目を開けていられない。手でベンチを探ると、以前にはなかった仕切り板が平らなベンチに打ち付けられている。
「これはな、人がこのベンチの上で寝られないように、わざわざ行政が取り付けたんだ。」
声がする方へ顔を向けてみると、その仕切り板の向こうに教授が座っている。まだこのあたりを拠点にしているらしい。
「要はホームレス排除だ。排除の理論と言われるもんだ。だがなあ、ここで排除したってそれは一時的に目の前からいなくなっただけであって、問題の根本的な解決にはならない。でも人間は浅はかだから、目の前から問題が消えれば、それで問題も消えたと思っている。所詮、そこらの動物と変わらん位の知能だ。いやいや動物のほうがもっと知恵がある。」
教授はにやにや笑って正人を見ている。
「どうだ兄さん、元気だったか、ちゃんと勉強してるか。学生の本分は勉強だぞ。」
「もう勉強する必要ないんです。三年からは就職クラスにいくことになったんです。」
「就職だろうが、何だろうが、人は一生勉強しなくちゃならない。学生時代よりもむしろ社会人になってからのほうが、勉強は必要なくらいだ。だが、その勉強の大切さというのが、当の学生にはわからんのだよ。勉強しないとどうなるかわかるか。」
その答えは正人が小さいとき以来、周囲の大人から散々聞かされてきたことだ。まさか、本人を目の目にしてその答えは言えなかった。「ホームレスになる」という答えを心の中でつぶやき、正人は教授を見た。
「どうして俺がホームレスになったか教えてやろう。それは俺が“仕組み”に触れてしまったからだ。仕組みというのはわかるか。俺は経済学の教授だぞ。アメリカの野郎どもが、日本の一部の政治家と結託して日本の莫大な富がアメリカへ還流する仕組みを作った。俺はその仕組みを暴き立て、それは日本の国益にならないとはっきりと論文に書いてやった。そうしたらどうなったと思う?」
教授の目はどこか遠くを懐かしんでいるようだ。
「俺は痴漢になった。」
どんな言葉が飛び出すのだろうかと待っていた正人には、想像もつかない意外な答えだった。
「あるとき気づいたら、電車の中で目の前の女子高生が何か騒いでいる。駅員が乗り込んできて、俺は両腕をつかまれ電車から引き摺り下ろされた。手鏡で女子高生のスカートの中を見たということで警察に留置され、裁判にかけられた。なんと驚いたことにその電車には、私服の警察官がたまたま乗り合わせていたということで証人に立ち、有罪。当然、俺は判決に不服ということで上級審まで争っているうちに拘置期間が三年になり、大学は首、妻は子どもを連れて離婚ということで、拘置所から出てきたところで帰るところはなし。そこでこんな生活をするようになったわけだ。わかるだろ兄さん、俺は痴漢なんてやってねえ。嵌められたんだ。仕組みを知ってしまった奴は必ずこうやって社会的に葬り去られる。仕組みを守ろうとする力はとてつもなく強いんだ。」
不思議な話を聞かされた正人だが、しかし、この教授と名乗る男が痴漢をするということは今までの言動からして、決してありえないことではないという考えが心に浮かんだ。実際、教授は身の不遇を嘆いて深刻になっている様子もなく、相変わらず正人を見てにやにやしている。
「いいか兄さん、勉強の本質ってのは、この世の中にあるいろんな仕組みを知っていくことなんだ。まだあんたたちは赤ん坊みたいにこの世の中の仕組みをまったく知らない。そして仕組みにいいようにあしらわれている。そもそも仕組みのルールってのは、仕組みを作った奴が一番有利になるように作ってある。それを何も知らないで世の中に出て行ったところで、相手に言いようにあしらわれて終わりだ。絶対に仕組みの真ん中まで辿り着ける訳がない。いいか、相手の武器で闘うってわかるか。相手をよく知り、相手と同じ土俵に立たなくちゃ勝負にならない。だから、俺は見込みのありそうな若者を見つけては、仕組みをひっくり返してみろって教えてるんだ。」
教授の目の奥が一瞬真剣になったような気がして正人ははっとした。しかしもう次の瞬間にはいつものように目尻を垂らして、にやにやと笑っている教授がいた。
「兄さん、どうなんだ、彼女はできたか。今日みたいな暖かい日は絶好のデート日和だ。春っていうのは女だって、何と無くそそられてその気になるもんだぞ。」
こういう調子で話しかけてくるのがこの人の口癖なのだと、今日の正人は余裕を持って対処することができた。それに、ゆがんだ愛の形とはいえ、正人はすでに美奈子の下着を手に入れていた。机の引き出しの奥に美奈子を制するものをこっそりつかんでいるかと思うと、一段高所にいるように感じた。
「でもなあ、同級生の女の子ってのは、もう男子なんかより二、三歳精神年齢が進んじゃってる。下手すりゃ十歳位年の差がある。女の子にしてみりゃ、同級生の男の子なんて子どもっぽくて話にならないのさ。どこの国でも結婚するのは男が年上なのはどうしてなのかわかるか。あれは男が若い女を求めてるからじゃない。そうしないと精神的に釣り合わないからだ。それくらい男は馬鹿で、遅れてるってことだ。もう、おまえ、同級生の女の子たちは進んじゃってるぞ。みんな体験済みだ。」
教授の言葉を聞いて、正人は高いところから一挙に落とされた。美奈子が他の男に抱かれているところなんて想像もしたくない。想像すれば気が狂いそうになる。だが、正人は美奈子の下着は知っていても、その中身がどうなっているのか、まったく想像すらつかなかった。正人は気分が悪くなり、ぷいと立ち上がった。
「何だ、兄さん、もう行くのか。飯炊きを手伝ってもらおうと思ったのに。今度、同級生の女の子の家を案内しろよ。一緒に風呂に入ってるところのぞこうぜ。」
思い当たることでもあり、一瞬ドキリとしたが、平静を装った。
「もう行きます。用事がありますから。」と、わざと抑揚をつけずに言った。
「そうか、じゃあ気をつけて帰れよ。今日は勉強の本当の意味を教えてやった。だから本物の勉強をしろよ。」
自転車に跨った正人の後ろから教授の声が聞こえた。心の内で「おまえなんか信用するもんか。」とつぶやいて、正人はペダルこぎ始めた。
富風 島緒 at 2012/05/04(Fri) 09:17│コメント(0)
2012/04/21(Sat)
このことがあった翌日、正人はまた違った面持ちで改めて美奈子を見た。美奈子は下着が盗まれたことに果たして気づいているのだろうか。表情からだけでは、美奈子が一体何を考えているのかは窺い知れない。大事にしていたかもしれないあの下着が今どこにあるのかを、この世で唯一確実に知っているのは正人だけである。そう考えると正人は、相手に悟られずに生死の要(かなめ)を握ってしまったかのような優越感を抱いたのであった。人を支配する快感を知ったのはこれが始めてである。自分の意思とは無関係にどんどん遠くへ行ってしまいそうな美奈子を、ついに手中にしたような錯覚に陥った。
しかし、むしろ、その後の正人は美奈子と次第に疎遠になっていった。自然な感じで言葉を交わす機会も少なくなり、その間に美奈子はクラスの中でますます孤立を深めているようであり、校外で男と派手に付き合っているようだとの噂が言い立てられ、そしてそういう噂話を蔭で楽しんでいる連中に心底うんざりするといった露骨な態度を美奈子は取り続けるのであった。美奈子と付き合っている男はどうやらこの町の警察署長の息子らしいとか、昨日はどこどこで何人もの男を引き連れた美奈子を見たといった噂が教室を飛び交っていた。正人はもちろんそういう噂話を楽しそうにするグループとは距離を置き、噂話に耳を傾けまいとしていた。しかし、おせっかいな同級生の男子たちが、親切にも面白い話を聞かせてやろうとするたびに、正人は言い知れぬ苦しさを感じるのであった。
しかし、むしろ、その後の正人は美奈子と次第に疎遠になっていった。自然な感じで言葉を交わす機会も少なくなり、その間に美奈子はクラスの中でますます孤立を深めているようであり、校外で男と派手に付き合っているようだとの噂が言い立てられ、そしてそういう噂話を蔭で楽しんでいる連中に心底うんざりするといった露骨な態度を美奈子は取り続けるのであった。美奈子と付き合っている男はどうやらこの町の警察署長の息子らしいとか、昨日はどこどこで何人もの男を引き連れた美奈子を見たといった噂が教室を飛び交っていた。正人はもちろんそういう噂話を楽しそうにするグループとは距離を置き、噂話に耳を傾けまいとしていた。しかし、おせっかいな同級生の男子たちが、親切にも面白い話を聞かせてやろうとするたびに、正人は言い知れぬ苦しさを感じるのであった。
そんなおり廊下ですれ違った美奈子が正人に話しかけてきた。
「三年になってクラス替えをしたらせいせいするよね。」
これは美奈子自身の気持ちを述べたものであろうか、それともクラスの中にあまりなじんでいるとはいえない正人の気持ちを暗に代弁したものであろうか。
正人は、全身で同感の意を示すだけで、言葉は出なかった。
「中山君は、どのコースに行くの?」
正人にとっては一番触れてほしくない事だった。結局、クラス担任の近藤に自分の考えをはっきりと告げる機会もなく、また自分自身の考えを明確にまとめることもできないまま、正人は就職コースに割り振られてしまった。さらに近藤が妙に正人に優しくなったところから推察すると、どうやら正人は中東派遣の志願隊へ応募することになっているらしい。
面倒臭いことをすべて先送りしてきた正人は、いま美奈子からこうして尋ねられると、恥ずかしさから顔が上気するのを感じた。正人は自分のことに触れられないよう話頭を転じた。
「本間さんは?」
「私は進学コース。近藤が勝手に決めたんだ。いちいち言い争ってもエネルギーの無駄だしね。」
「本間さんは成績がいいから。」
この言葉を以前、似たような状況で言ったことがあったと思うと、正人はまた顔が赤くなり、動作がぎこちなくなった。
「私ね、進学なんてどうでもいいと思ってるんだよ。私たちが一生懸命がんばって実績を挙げたって、みんな近藤や学校の実績になっちゃうんだから馬鹿らしいよ。あいつら本当に私たちのことを思って勉強しろって言ってんじゃないよ。みんな自分のため。それに大学に行ったってどうなるの。大学でも競争だよ。ちゃんとした企業に勤められるのは、一部の人間だけ。残りの人たちは、大学出たってまともな仕事はないよ。大学に行ってまで苦労するなんて馬鹿みたい。」
美奈子の強い口調は正人をも非難しているかのようだった。
「あの、本間さん、みんなが本間さんのこと、あれこれ言っているみたいだけど…」
「くだらない。あの人たち私のこと羨ましがってるんでしょ。」
あれこれ言っているみたいだけど、俺は信じていないということを伝えたかったのだが、美奈子の強い口調にまた正人は圧倒されてしまった。
「そういうことだから、いつまでも下流から抜け出せないんだよ。」
正人まで軽蔑するように、そう言い残すと、美奈子は立ち去った。
富風 島緒 at 2012/04/21(Sat) 08:55│コメント(0)
2012/04/03(Tue)
家に帰ればいつものように父親がテレビの前に座って動かない。正人もこたつに入り父親の横に座る。黙ってテレビの方を見ているが、視界の隅に父親を捉え、心の中で何度も父親に話しかけるタイミングを見計らっていた。「父さん」と何度も頭の中で声を出してみるが、実際は喉の奥のところで止まってしまう。テレビからは時折馬鹿笑いが響いてくる。テレビ画面の明滅で部屋が明るくなったり暗くなったりする。「進路のことなんだけど…」言おうと思うが切り出すタイミングと勇気がない。忸怩たる思いで数十分が過ぎると、正人の気持ちはもうくたくたになってきた。そして、進路の事はまた考えよう、なるようになるさといういつもの先送りの気持ちが出てくると、考えること自体が面倒くさいものに思えてきた。そして、こんなことで悩み疲れている自分が馬鹿らしく思え、考えること自体を放棄してしまった。
夜、暗くなり布団にもぐって寝ていると、正人には違った悩みが浮かんできて、ゆっくりと眠っていられなかった。美奈子のことだ。美奈子は近頃、クラスでは孤立していた。仲良く話していた女子生徒も美奈子とは距離を置いているようだった。周りの生徒が美奈子を避けているというよりは、美奈子の相手を見下すような毅然さが、距離を生んでいるようだった。美奈子は以前より美しくなった。それが何を意味するのか、それを考えると正人は苦しいのだった。美奈子が何をしようとも彼女の自由であるということはわかっていたが、許すことができない気持ちでいっぱいだった。進路のことは考えるのが面倒となり思考停止状態に陥ってしまったが、美奈子の事はいくら考えることをやめようと思っても不可能だった。この苦しい気持ちにけりをつけなければ、もうどうしようもないというところまで追い詰められているようだった。
その苦しい気持ちを解決するために、正人の取った行動は、美奈子のことをこれまで以上に監視することだった。学校にいる間は、休み時間には誰としゃべりどこへ行きということを執拗に追い求めた。視線の先で追うだけでは飽き足らず、尾行の真似事のようなこともした。距離を保って美奈子の後を付けていくのは緊張感があった。突然振り向かれたときは、視線をそらし、偶然を装い方向を変えて歩みさった。心臓が破裂しそうになったが、この緊張感が病み付きとなり学校内での探偵ごっこが止められなくなった。しまいには、美奈子が一日に何回トイレに行くか、何時間目と何時間目の間の休み時間に行くかということなどもわかるようになった。
美奈子の行動を監視するだけではなかった。何を身につけているかということも正人の監視の対象となった。もちろん正人の高校では制服が指定されているので、身勝手な格好をするのは許されなかったが、制服という枠組みの中で女子生徒たちは自分を表現しようといろいろと工夫を凝らしていた。ブラウスの襟の形や袖の長さ、靴下の長さ・形・かばんにつけるアクセサリーなど、なるほど気をつけてみると、毎日少しずつ変わっているのだ。気づいたたびに正人は自分の生徒手帳の余白に、自分にしかわからない記号で書き留め、そうすることで美奈子を少しでも所有しようとしていた。観察するうちには、ブラウスの袖口や襟に黒い油染みた汚れを見つけることもあり、それが正人には妙に生々しく感じられた。
やがて正人の行動は徐々に常軌を逸し始める。美奈子が住んでいるところはどこだろう、と思い始めると、行動を抑えることはできなかった。一年のうちでも最も日が短くなるこの時期、正人が美奈子を尾行するには都合がよかった。
校門を出て暗がりから暗がりを選び、一定の距離を保って美奈子の後を付けていく。美奈子も時に不安を感じるのか、後ろを振り向く。そのときには正人も電信柱の影や塀に身を寄せ、固く目をつむり暗がりと一体化する。美奈子はきょろきょろと辺りを見回し、また歩き始める。何度か美奈子の姿を見失うことがあり、成果むなしく家に帰ることも多かった。だが、正人はすっかりこのゲームに夢中になり、家に帰る時間がだんだんと遅くなった。ある時、家に帰ると、父親が一人、部屋の電気も付けず、いつものようにテレビの前に座っていた。日が暮れるのが早くなったことに気づかず、いつの間にか暗い部屋に時間だけが過ぎ去っていたのであろう。妹の由美もまだ帰宅していない。正人は部屋に入ると黙って電灯の紐を引いた。父親は驚いたように正人を見つめて「ああ、もうこんな時間になっていたのか。正人、遅かったじゃないか。」と言った。
「ぼくは父さんと違っていろいろやることがあって忙しいからね。」と正人は答えると、いつものようにはテレビの前には座らず、自分の部屋に引きこもり机の前に座った。そして目をつむり、美奈子の家をもう少しで突き止められそうだという興奮にひたった。
これまでの試みから美奈子の帰る道のりはおおよそ把握できていた。校門からすべての道のりを尾行するのは効率も悪く、相手に悟られる恐れもある。ある程度の自信を得ていた正人は大胆に途中から待ち伏せをした。横道の蔭に潜んでいた正人には待つ時間が長かった。期待に迫られ頭の中が何も考えられなくなった頃、美奈子の姿が予定通り、正人の視線の先に現れた。その瞬間、正人は走り出した。通りに出るといつものように一定の距離を保って美奈子の後ろを歩く。街灯の少ない住宅地の一軒家に美奈子が入っていくのを見届けた。
こうして一度、美奈子の家を知ってしまうと、夜闇にまぎれて家の周りに何度も出没するようになった。父や母には黙って、時には理由を言い繕って、頻繁に自宅を出るようになった。行動も徐々に大胆になる。ある時、美奈子の家の物陰に潜み様子を窺っていると、小窓の明かりがつき人影が見えた。そしてしばらく立つと水の流れる音が聞こえた。そこがトイレだということがわかった。そしてまた灯りが消えた。中にいるのは誰だったのだろうと想像し、小窓に近付いてみた。屋根つきのガレージに眼を転じると、洗濯物が干してあるのがほの白く見えた。正人はそちらへ方向を転じると、腰をかがめたままにじり寄った。シャツやタオルが干してある中に、小物だけがまとめて干してあった。その下まで行くと、正人は立ち上がった。そしていくつかかの洗濯物を点検すると、純白の下着に手を伸ばし、それをおのれのポケットへと入れた。家族の洗濯物の中でも、これが美奈子のものだという不思議な確信があった。そして踵を返すと、正人は闇の中を一心に駆け出した。自宅の玄関の前で数秒息を整えると、家族の者には一言も声を掛けず、自分の机へと向かった。意識はズボンのポケットに集中していた。背後のふすまを閉め視線をさえぎると、いすに座った。しばらく虚空を見つめていたが、ポケットの中のものを取り出し、じっと見つめた。そしてそれを顔に当てると深く息を吸い込んだ。
富風 島緒 at 2012/04/03(Tue) 22:05│コメント(0)
2012/03/20(Tue)
近藤とのこの面接は、どうも正人には腑に落ちなかった。すっきりしない気持ちのままでは、真直ぐ家に帰るという気になれなかった。自転車から降り、通学路の途中にあるいつもの公園に寄ってみる。ここは、学校からも、家からもちょうど真ん中にあり、どちらの気持ちも引きずらなくて済む場所だと言える。公園の木は思う存分伸びることが出来ず、相変わらずいじけたように立っていた。こんなときは、誰かと話してみたい気分になるものだ。
「教授」と名乗るあのホームレスが公園の隅で火を焚いていた。白い煙がゆらゆら立ち上り、炎が時おり赤くひらめく。教授は正人のほうを見て手を振っている。正人はぎょっとしたが、ゆっくりと教授のほうへ歩み寄る。
「何をしてるんですか?」
話の糸口を正人から切り出すのは珍しい。
「飯を炊いてるんだ。」
「何でですか。」
「何でですか、ですか。」
教授は腹を抱えて大げさに笑った。
「こんな質問は初めてだ。俺の教え子で今までこんな質問をした奴はいない。ひょっとしたら君は天才か、それともただの馬鹿だ。腹が減るからに決まってるだろ。」
新聞やら落ち葉、木の枝が煙を出して燃えている。枝はそこらあたりから折ってきたばかりなのだろう。水気を出してシューシュー音を立てている。焚き火の中に石が組んであり、その上に煤で真っ黒になった鍋が載っている。
「これでご飯がたけるんですか?」
「炊けるんだよ。ぼうや、ご飯炊くとこ見たことないの。お米と水を入れて火に掛けると炊けるんだよ。」
鍋の蓋の脇から水蒸気がジューとこぼれ出す。二人は何も言わず鍋を見ている。教授が木の切れ端を火に加える。
「ぼうや、ぼんやり見てないで、焚き火燃やすのを手伝ってくれ。葉っぱや木を集めて来るんだ。」
正人と教授は、公園のあちこちから落ち葉や木切れを集めてきた。正人は手が汚れるのも気にならなかった。集めたものを焚き火にくべると、また勢いよく火がぱっと燃え出した。そして鍋のジュージューいう音も勢いを増し、時々、水が吹きこぼれる。教授はそんな様子を見守っていたが、もうこれ以上、火勢を強くする必要はないと正人を制した。勢いよく燃えていた火は、次におき火となり真っ赤な芯が灯った。正人は燠き火をじっと眺めていた。気持ちが落ち着くようで不思議だった。鍋からはもう水が吹き出すことはなく、ブツブツブツという心地よい細かな音が聞こえてくる。やがて燠き火が白い灰になって行く。「さあ、いいぞ、あとは蒸らしだ。ぼうや、ご飯というのはすぐに食べれないんだ。あと十分か十五分待つのが大事だ。」
教授はそう言うとベンチに戻り、彼の家財道具一切が入った荷物の中から、やおら本を取り出し読み始めた。何やら専門的で難しそうな本だった。正人も教授の隣に腰掛けるのが自然な気がして、ベンチの端に腰掛けた。教授は正人がまるで眼中にないかのように、表紙の厚い専門書に顔を埋めている。正人は正人でぼんやり考え事に沈んだ。教授が急に声を出した。
「これは経済の専門書だ。俺はね、経済学を大学で教えてたんだよ。経済学は世の中の仕組みを、経済という側面から明らかにしてくれる。」
誰に向かってしゃべっているのだろう。正人が教授の方を見てみると、教授も正人の方を見ている。どうやら今の言葉は正人に向けてのようだった。
「さあ、そろそろいいだろう。ご飯が炊き上がったぞ。」
教授が鍋を抱えて持ってくる。そしてベンチの上の教授と正人のちょうど間に置く。教授が蓋を取ると、湯気がぱっと上がる。湯気の中に白いものがぼんやり見える。湯気の中から香気が広がる。教授は家財道具一式の中からしゃもじと茶碗を取り出し、炊き立ての白いご飯をよそう。その茶碗のひとつを正人の前に置き、ひとつを自分の前におく。教授はにやりとして箸を正人に渡す。
「ぼく、結構です。そんなつもりじゃ…」
「いいから手伝ってもらった御礼だ、ちょっと食べてみろ。もちろんあんたにたくさんやったら俺のがなくなっちゃうから、ちょっとだぜ。」
教授はもう、はふはふと言いながらご飯を食べ始めている。正人も箸ですくって一口食べてみる。
「どうだうまいか?」
飯を噛みながら教授が聞く。正人がうなづくと
「いいか、ぼうや、生きるってことはこういうことなんだよ。わかるか。自分で火を起こして、米を炊いて食べる。これ以上、具体的に生きるってことを教えてくれるものはない。」
二人とも無口になって、しばらくは飯を食べていた。教授は鍋の底にへばりついた最後のご飯粒まで丁寧にしゃもじでこそげとると、そのまましゃもじを口に入れて、くちゃくちゃねぶっている。
「どうだ、兄さん、学校は楽しいか、彼女はもうできたか?」
予期せぬ質問に正人はすぐに返事ができなかった。教授はしゃもじを持ったまま、正人を見てにやにや笑っている。
「命短し、恋せよ少年だ。勉強もしろ、恋愛も大いにしろだ。」
美奈子のことがふと頭に浮かんだが、それは押し留めた。
「何のために勉強しなくちゃいけないのかもわからないし、自分がどうしたいのかもわからないんです。」
「何のためになんて考えるから駄目なんだ。ただやればいいんだ。〝やる〟ってことが大事だ。」
教授は「やる」という言葉を強調したままにやにや笑っている。
「担任の先生からは、派遣軍に応募してみたら、と勧められてるんです。すごく条件がいいからって。」
「生徒思いのいい先生だ。泣けてくるよ。」
そう言いながら教授は大声を出して笑った。
「とにかく派遣軍がどういうものだか、調べてみるといいだろう。もうそろそろ第一次隊も派遣される頃だし、そこから帰ってきた人も出てくれば、その人たちの経験談だって聞くことができるだろう。自分の耳で聞いて確かめることが必要だ。ただし還ってくる人がいればな。」
教授の真意を図りかね、正人はどう反応していいかわからなかったが、とりあえず口を開いた。
「どうも今日はありがとうございました。ぼく、もう行きます。」
「そうか。今日は兄さんに生きることの意味を教えてやったんだから、がんばれよ。彼女ができたら報告するんだぞ。」
富風 島緒 at 2012/03/20(Tue) 18:55│コメント(0)




